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大阪地方裁判所 昭和30年(行)31号 判決

原告 吉川善行

被告 富田林税務署長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告の申立、主張、立証

一、請求の趣旨

「被告が昭和二八年一〇月二三日付でなした原告の昭和二七年度所得税に対する重加算税額を二、四三一、五〇〇円と定めた処分はこれを取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める。

二、請求の原因

原告は昭和二五年末までは大阪市浪速区霞町二丁目一番地で工業窯炉および保温保冷工事請負業をしていたが、昭和二六年一月一日から右営業を実弟の訴外田中善政に譲渡し、原告は同人より給与を受けていた。原告昭和二八年三月一四日被告に原告の昭和二七年度分所得を配当所得四四一、八七九円、給与所得一二二、四〇〇円、合計五六四、二七九円とした確定申告書を提出した。

しかるに被告は前記営業譲渡の事実を認めず、田中善政の営業を原告の営業であるとして、原告の申告を認めないので、原告はやむなく、昭和二八年五月一九日被告に対し、昭和二七年度配当所得四四一、八七九円、営業所得七、六〇〇、〇〇〇円とした修正確定申告をした。

被告は同年一〇月二三日付で原告の所得額を九、七六四、八七九円と更正し、所得税額の基礎となるべき事実を隠ぺいまたは仮装した確定申告書および修正確定申告書を提出したとして、重加算税二、四三一、五〇〇円を徴収する旨決定した。原告は右処分に不服なので大阪国税局長に審査請求をしたが、同局長は昭和二九年一二月二五日付で、これを棄却し、原告はその頃その通知書の送達を受けた。

被告主張による原告の所得金額算定の内訳(別表第一)のうち、(1)の事業所得の収入の部(イ)、(ロ)の金額、支出の部のうちの(ロ)ないし(ワ)の各項目の金額、(2)、(3)、(4)の各所得の金額は争わない。所得金額の算定につき原被告間に差異の生ずるのは、昭和二七年度における期首棚卸材料の点にある。被告は二、九五六、〇〇〇円しか計上していないが、実際は一三、〇六〇、〇〇〇円あつたのである。

終戦後保温材料は主としてブローカーが扱つていたが、原告はよい出物がある都度これを買い入れていた昭和二三年六月頃日立造船株式会社桜島工場内の型置場建物の一部約二〇坪を倉庫として借り入れ、これに格納して使用するとともに、その後新たに買い入れたものも入れ、当時材料所有量の多いことは業者間で有名であつた。昭和二五年三月頃日立造船株式会社から右倉庫の明け渡しを要求されたが、在庫量が多いため容易に使い切れないで、明け渡しがのびのびになり、昭和二七年末に漸く使用しつくし、昭和二八年一月に明け渡した。したがつて昭和二七年期首の棚卸材料は右型置場倉庫の在庫量を含めると前記のとおり一三、〇六〇、〇〇〇である。大阪国税局調査査察部の調査を受けた昭和二八年四月三〇日当時は既に前記のとおり型置場倉庫は明け渡し後であつたため、昭和二七年度は右倉庫に材料があつたことを主張しても認められなかつたが、事実は前記のとおりである。

もしも被告の主張するとおり、昭和二七年度期首棚卸材料を二、九五六、〇〇〇円とすると次のような不合理の結果になる。すなわち、

18,081,244円+2,760,000円=20,841,244円……(A)

(仕入材料) (使用材料) (被告の指定使用材料)

44,046,336円-8,954,943円=35,091,393円……(B)

(売上金) (工賃請負工事分) (材料持請負工事分)

(註) ○ 使用材料は別表第一(1)のうち支出の部(イ)期首棚卸額と収入の部(ロ)期末棚卸額の差額

○ 売上金は別表第一の(1)の収入の部(イ)工事収入44,106,036円より被告が昭和28年度の工事収入を誤つて昭和27年度のものとして算入した59,700円を差し引いた金額

○ 工賃請負工事分は材料は日立造船株式会社持ちで労力のみ提供した工事で証拠として提出された請負工事明細書による

したがつて使用材料率=A/B=59%………………………(C)

利益率=8,926,479円÷44,064,336円=20.31%……(D)

(被告主張事業所得金額) (前記売上金)

更に昭和二六年度使用材料率、利益率を国税局が認定した数字に基づいて計算すると

5,270,765円+188,000円=5,458,765円……(A′)

(仕入材料) (棚卸材料使用分) (被告の推定使用材料)

21,021,096円-2,879,800円=18,141,296円……(B′)

(売上金) (工賃請負工事分) (材料持請負工事分)

使用材料率=A′/B′=30%………………………………(C′)

利益率=8,352,129÷21,021,096=39%…………(D′)

(所得金)  (売上金)

ということになる。すなわち利益率は昭和二六年度三九%(前記D)、昭和二七年度二〇%(前記D)であり、荒利益を計算すると昭和二六年度は約五割、昭和二七年度は三割近いことにならざるをえない。日立造船株式会社では、三、四社で競争入札しているが、見込みうる荒利益は約一割程度で、三割のごとき暴利益率では落札しえないことは必定である。また計算で明らかなように、昭和二六年度と昭和二七年度とで使用材料率(CC′)、利益率(DD′)に相当差異があるが、同一業態の継続年度で、このように差異があるのは実態に副わない。

労働者災害補償保険法は賃金総額に保険料率を乗じたものを保険料として徴収しているが、同法施行規則第二二条の二において、請負による土木建築事業で賃金総額を算定することが困難なものについては請負金額に法定の率を乗じたものを賃金総額とみなすことを定め、その別表第三の二において、原告の業態すなわち、家屋附帯設備事業については一割六分と定めている。右の率はあらゆる資料を検討した上、定められたもので、最も適正妥当な率といわざるをえない。その率を基準として算定するならば、使用材料率は七割以上でなければならぬものである。

昭和二八年一月それまでの個人営業形態を株式会社組織に変更して以来は、諸帳簿が整理されており、それによると工賃請負(仕上げおよび機械据付工事)を控除して計算するとき、使用材料率は七割以上、利益率は二分程度となつており、国税局の前記推定比率は正確でないことが分かる。

これに反し、原告主張の所得額は合理性があることは次のことより分かる。

原告は昭和二五年以来二七年末まで、毎年末型置場倉庫の在庫数量を調査し、書き留めていた。右数量の明細表、昭和二五年末棚卸資産明細表、昭和二六年、二七年度収支計算書、刑事事件において検察官の提出した収支計算書によると、

15,103,050円+12,864,000円=27,967,050円……(イ)

(仕入材料) (棚卸使用分) (実質使用材料)

44,046,336円-8,954,943円=35,091,393円

(売上金) (工賃請負分) (材料持工事分)

35,091,393円×0.8=28,073,114円……(ロ)

(請負工事主要材料)

したがつて、実質使用材料(イ)と必要材料(ロ)との数量はほゞ同額であり、昭和二六年度も同様に証明される。原告の検察官に対する供述調書に添付の使用材料表(甲第五号証の六)の数量を仕入価格により算定すると昭和二七年度の実質使用量は二七、九六七、〇五〇円となり、前記(ロ)の金額に近似している。このことは昭和二六年度においても同様証明される。なお、材料持請負工事費に対する所要材料比率は七割五分ないし八割五分であることは業界の常識である(甲第四号証の八(武田浅右衛門証人尋問調書)、甲第四号証の一一(平田元一証人尋問調書)参照)

被告は船舶保温専門の同業者が原告のほか十数社あるのにかゝわらず、原告の営業を特殊業とみなし、共同入札で工事を請負うものであるのに、これを看過し、そのため日立造船株式会社に保管してある入札見積書、現入工数表等重要書類を調査せずに過少材料率、その反面莫大な利益率を推定したもので、被告のなした原告の所得金額の算定は誤つている。

のみならず、原告は所得金額を隠ぺいする意思はなかつたので、重加算税徴収の決定も違法である。

すなわち、原告は従来昭和築炉造機製作所という名称で営業してきたが、家庭上の問題と原告が胸部疾患で病臥するに至つた理由から、昭和二六年一月以降営業者名義を弟の田中善政とするとともに、営業所の名称も昭和築炉保温工業所とし、銀行取引は勿論、土建業許可登録を始め、労働基準局、職業安定所、税務署に対する諸届出はすべて田中善政名義に変更した。

したがつて、昭和築炉保温工業所の営業所得は昭和二六年度以降は田中善政名義で申告すべきものと解して、そのようにし、納税した。さらに、これとは別に原告は前記のとおり、五六二、四〇〇円を個人所得として所轄の被告に申告し、納税した。営業所得の申告を田中善政名義でしたのは、名義人主義によるべきか、実質主義によるべきかの解釈の相違から出発したもので所得金を隠ぺいする意思からではない。

原告は被告よりしばしば納付方督促を受けたので、やむなく昭和二九年一〇月までに右重加算税を分納したが、被告のなした重加算税の決定は以上のとおり違法であるから、これが取り消しを求めるものである。

三、証拠関係〈省略〉

被告の申立、主張、立証

一、請求の趣旨に対する申立

主文同旨の判決を求める。

二、請求の原因に対する答弁

原告の主張事実中、原告が被告に対し、昭和二八年三月一四日に昭和二七年度の所得としてその主張のとおりの確定申告書を提出したこと、その後同年五月一九日原告主張のとおりの修正確定申告書を提出したこと、被告がこれに対し、原告主張のとおり所得金額を更正し、重加算税徴収の決定をしたこと、その後原告が右重加算税を全額納付したこと、原告が大阪国税局長に審査請求したが、棄却され、その旨原告に通知されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告は昭和二一年頃より昭和二八年一月株式会社に組織替えするまで、個人で工業窯炉および保温保冷工事請負業を営んでいたが、脱税を企図し、営業に関する帳簿を備え付けず、銀行その他の取引には、架空人および他人名義を用いる等の方法で所得税額の計算の基礎となるべき事実を隠ぺいし、これに基づいて昭和二七年度所得は別表第一のとおり、

事業所得 八、九二六、四七九円

雑所得    二二〇、七二八円

配当所得   五七三、三〇〇円

利子所得    四四、三七三円

合計   九、七六四、八七九円

であるにかゝわらず、右営業による所得は訴外人田中善政名義で、予定申告は南税務署長に、確定申告は九〇〇、〇〇〇円として此花税務署長に提出する一方、原告は右田中善政の使用人であるかのように装い、自己名義で昭和二八年三月一四日所轄税務署長である被告に対し、原告主張のとおり

配当所得   四四一、八七九円

給与所得   一二二、四〇〇円

合計     五六四、二七九円(所得税額零)

として確定申告したものである。

原告の昭和二七年度所得金額は大阪国税局調査々察部調査の結果によれば別表第一のとおりである。同表の支出の部(イ)の期首棚卸材料二、九五六、〇〇〇円は岩壁倉庫にあつたものである。右のほかに型置場倉庫に一〇、一〇四、〇〇〇円の材料が存在したとの原告の主張事実は否認する。

原告はその主張のとおり昭和二八年五月一九日被告に対し、配当所得四四一、八七九円、事業所得七、六〇〇、〇〇〇円とした修正確定申告書を提出したが、右申告は大阪国税局調査々察部係員が前記所得税ほ脱のけん疑で着手した昭和二八年四月三〇日以後になされたものであり、この間の原告の富田林税務署係員に対する交渉の経過に徴すれば、右調査により更正処分のあることを予知してなされたことは明らかである。よつて被告は大阪国税局の調査の結果に基づき、原告の昭和二七年分所得金額を九、七六四、八七九円と更正するとともに、昭和二八法律第一七三号改正前の所得税法第五七条の二第一項、第五項、第五七条第一項、第五項の規定により右所得金額更正により追徴すべき所得税額四、八六三、九三〇円(たゞし一、〇〇〇円未満切り捨て)の五〇%に相当する重加算税二、四三一、五〇〇円の徴収決定をなし、同年一〇月二三日その旨原告に通知した。

以上のとおり被告のなした重加算税徴収決定にはなんら違法の点はない。

三、証拠関係〈省略〉

理由

一、原告が被告に対し、昭和二八年三月一四日昭和二七年度の所得を配当所得四四一、八七九円、給与所得一二二、四〇〇円、合計五六四、二七九円とした確定申告書を提出したこと、その後同年五月一九日に配当所得四四一、八七九円、工業窯炉および保温保冷工事請負業による営業所得七、六〇〇、〇〇〇円とした修正確定申告書を提出したこと、被告が同年一〇月二三日付で原告の昭和二七年度所得額を九、七六四、八七九円と更正し、重加算税二、四三一、五〇〇円を徴収する旨決定したこと、原告は右処分に対し、大阪国税局長に審査請求したが、昭和二九年一二月二五日付で棄却されたこと、昭和二七年度の原告の所得の内訳、別表第一のうち、(1)事業所得の収入の部の(イ)、(ロ)、支出の部の(ロ)ないし(ワ)の各金額、(2)雑所得、(3)配当所得、(4)利子所得の金額は当事者間に争いがない。

二、したがつて昭和二七年度の原告の所得に関する原告と被告の主張の相違点は、原告が期首棚卸額を一三、〇六〇、〇〇〇円と主張するに対し、被告は二、九五六、〇〇〇円と主張する点にある。

三、そこで昭和二七年年度期首棚卸額はいくらであつたかにつき検討することゝする。以下引用する書証はすべてその成立については当事者間に争いがない。(書証の番号の下に例えば(田村竜一)とあるのは、原告に対する所得税法違反被告事件において刑事法廷で取り調べられた「証人田村竜一に対する尋問調書」を指し、(田村竜一(検))とあるは、「田村竜一の検察官に対する供述調書」を、(吉川善行)とあるは「吉川善行の刑事法廷における供述」を、(吉川善行(国))とあるは「吉川善行に対する国税査察官の質問てん末書」を指す。)

(一)  甲第四号証の一(田村竜一)、乙第三八号証(同人(検))、甲第四号証の二(小切間正武)、乙第三七号証(同人(検))甲第四号証の三(正村一夫)、甲第四号証の四(田中善政)乙第二七号証(同人(検))、甲第四号証の九(中野文雄)、甲第五号証の二、五、六(吉川善行(検))と証人田中善政の証言原告本人の供述とを総合すれば、原告は昭和二一年頃から日立造船株式会社桜島工場の仕事を請け負うようになり、昭和二二、三年頃同工場内の造船型置場の建物の階下の一部を材料置場のために借り受け、一時は一区画間口約二間奥行約五間の広さの処を三区画借り受けていたこと、その後昭和二五年三月原告を始め、右型置場の階下を使用していた各下請業者等は日立造船より右建物の明け渡しを求められ、原告は昭和二七年初めまでに二区画を返したが、一区画は同年末まで使用していたこと、したがつて原告が昭和二七年初めにおいて所有していた材料は右型置場の一区画の倉庫と安治川岸壁にある倉庫とに納められていたことが認められる。

(二)  (1) 甲第四号証の八(武田浅右衛門)の「私は昭和二五年六月に日立造船に入り外部に注文する係の長をしていた。吉川の倉庫は現場を歩く場合に行つてみたことがあるが、当時中で女工さんが保温ふとんを縫つていた。材料は棚をつって、ぼちぼち置いてあつたのを見たことがある」旨の供述記載

(2) 甲第四号証の九(中野文雄)の「退いて貰うために倉庫に何が入つているかを扉の中から中をのぞき込んだことがしばしばある。保温の方は専門でないからはつきりは言えないが保温用のロープのようなのが朽ちたような形で山積み状においてあつたように記憶する」旨の供述記載

(3) 甲第五号証の六(吉川善行(検))の「昭和二六年の期首まで型置場の倉庫と事務所の倉庫に保有していた合計二、一〇〇万円程度の保温材料は昭和二四年度および昭和二五年度の間に新に購入した材料ばかりで、終戦前に買い入れた旧材料は残つていない」旨の供述記載

(4) 乙第三七号証(小切間正武(検))の「原告は船舶の保温工事を請け負う都度その所要材料を工場内に搬入していた事は事実であるが、先の工事を見越して七隻分とか八隻分とかいうような大量の保温材料を工場内に持ち込んで在庫していたというような事実は見たことがない、使つていた面積からみてもそれほど大量の材料を手持していたというようなことは考えられない。」旨の供述記載

(5) 乙第三九号証(秋田健二(検))の「私の会社は昭和二四年一一月初型置場の建物を借りた。私の会社の借り受けていたハウスの西隣を吉川さんが借りていた。私は毎日のように型置場のハウスへ行つていたが、私の見た範囲では、吉川さんのハウスへ材料を入れたり運び出したりするようなことをしているのをみかけたことは一度もない」旨の供述記載

(6) 乙第四〇号証(森尾国敏(検))の「昭和二二年八月頃から型置場の一部を借り受けたが、昭和二五年三月に明け渡しの要求があり、同年四月初めに他所に移つた。少なくとも私が型置場を借りていた期間中に昭和築炉が型置場の事務所の中へ、トラツク五台とか一〇台というような沢山の材料を持ち込んで来たのは見かけたことがない」旨の供述記載

(7) 乙第二五号証(井上忠雄(検))の「倉庫としては昭和二五年末も、昭和二六年末も三ケ所にあつた。これら倉庫の在庫量は正確なことは分らないが、大体一つの船の保温工事を請け負うとほとんど使い切つてしまう程度のもので、工事の都度必要材料を吉川さんや私が買つていたような状況であつた。何隻もの保温材料を手持ちしてストツクしておくというようなことは私の知つている範囲ではない。昭和二五年末に約二、〇〇〇万円程度の保温材料の在庫があつたということは私の承知している限りではない。倉庫の面積からいつてもそれ程高価な額にのぼる多量の保温材料があつたはずがない」旨の供述記載

(8) 乙第八号証の一(吉川善行(国))の「昭和二五年末、二六年末に比較し、二七年末の棚卸材料が相当少ないのは常に買えるものはその時々に買い、そうでないものは船二隻分ぐらい手持ちしていたが、昭和二七年には材料も豊富になり、いつでも買えるようになつていたし、昭和二八年一月より株式会社として発足するために工事のきりをつけ、材料在庫品をほとんど使い切つた。各年度の棚卸材料高の記録はない。私の心覚である。しかし昭和二七年末は会社になる時なので実際に当り調査し、記録している。船二隻分というのは中型船(約五、〇〇〇トン程度)の新造船工事に必要な保温工事材料をいつているわけで、大型船約一万トン級以上になると倍以上も必要となつてくる。二隻分の必要量といつても船主の註文にもより、又デイーゼルタービン船により相違があるが、標準としては岩綿紐が約一四トン程度、石綿布が約六〇巻、硅藻土約一〇トン程度、それ以外は船によつて変つてくる。それらの品等をいえば、アモサイト、マグネシヤ、真ちゆう板、金網、亜鉛引鉄板等で、常に買えるものとしては硅藻土がある。これは場所をとるので当時一トンないし二トン程度より手持ちしていない」旨の供述記載

(9) 乙第八号証の二(原告が右供述に際して提出した昭和二五、二六、二七、の各年度末棚卸材料明細書、その二六年度末棚卸、材料明細として別表第二の記載がある)

(10) 乙第八号証の一、二と原告本人の供述により認められる次の事実、すなわち原告は昭和二七年の確定申告書を提出(昭和二八年三月一四日に確定申告書を提出し、同年五月一九日に修正確定申告書を提出したことは当事者間に争いがない)してから、まだ間のない昭和二八年六月四日に大阪国税局岡崎国税査察官に対し、自宅で認めて持参した昭和二五、二六、二七年の棚卸し材料明細書(乙第八号証の二)を提出したが、右明細書を作成するに当り、国税局係官より、予め岸壁倉庫のみの棚卸表を提出するようにというような指示はなされていなかつたこと、

(11) 乙第一六号証の一(吉川善行(検))、同号証の二(明細書)乙第二七号証(田中善政(検))、証人田中善政、同岡崎成胤の証言、原告本人の供述により認められる次の事実、すなわち、原告が昭和二六年末の在庫量は岸壁倉庫の二、九五六、〇〇〇円型置場倉庫の一〇、一〇四、〇〇〇円の計一三、〇六〇、〇〇〇であると主張するに至つたのは、昭和三〇年に入つて原告が検察官の取り調べを受けるようになつてからで、大阪国税局の係官より調査を受けていた時には、このような主張はしていなかつたこと、(原告本人は国税局係官にも述べたが、とり上げてくれなかつた旨供述しているが、証人岡崎の証言に照らし信用し難い)、一、〇〇〇万円の材料といえば四トン積トラツクで約一〇台分合計五〇トン前後の分量であること、

(12) 証人田中善政の証言、乙第二七号証(田中善政(検))によれば原告の弟である田中善政も大阪国税局係官の取り調べに当つては、昭和二七年期首に岸壁倉庫以外に型置場倉庫に一〇、一〇四、〇〇〇円もの材料があつたことは述べていないことが認められ、その点の主張をしなかつた理由として田中善政は検察官に対し「兄も税金を納めてすむことであれば強いて争わないから私にも兄が話したように口を合わしておけと言つていましたので、そのように事実に反する答弁をしておいた」旨供述している。しかしながら原告が大阪国税局係官に述べた二、九五六、〇〇〇円の外になお一〇、一〇四、〇〇〇円の期首在庫量があつたということは原告の所得額認定上、原告に有利な事実である。被疑者とその近親者との間で被疑者に不利な事実は述べないように口を合わすということは往々にして行なわれるところであるが、有利な事実を述べないように口を合わすということは通常では考えられないところであること、また「税金を納めてすむことであれば」といつても、小額の税金のことなら、あるいはそういう心情になることもありうるとも思われるが事実一〇、一〇四、〇〇〇円の在庫量があるのに、これを認めて貰えないとなると何百万円という税金が課せられる結果になるばかりでなく、所得税法違反として刑事訴追を受けることになるかも知れないのであるから、税金を納めてすむことならといつて被疑者に有利な事実を真実に反して言わずにすますということは首肯し難いところであること、

(13) 原告本人は当裁判所においては「在庫数量の明細書(乙第一六号証の二)昭和二五年末、昭和二六年末の二回に弟田中善政と二人で棚卸した時に二枚の青写真の裏に、一枚には岸壁倉庫の材庫量を、他の一枚には岸壁倉庫の在庫量と型置場倉庫の在庫量の合計したものをメモしておいたのが残つていたので、それに基づいて作成したものである」旨供述しているけれども、乙第一七号証の一(吉川善行(検))によればば、検察官の取り調べに対しては「昨日(昭和三〇年三月三日)お示し頂いた在庫材料の明細表(注、前記乙第一六号証の二を指す)は正式に各年度末に実地棚卸をしたわけではありませんが、大体の数量を調べて見積りの基礎となる日立からの図面の裏面に覚え書きしておいたものが私の手許に残つていたのでそれに基づいて書き上げたのであります」と供述し、図面の裏面に記載したメモに関し、その供述が首尾一貫していないこと。

以上(1)ないし(13)を総合すれば、昭和二七年期首の在庫量は原告が昭和二八年六月四日大阪国税局係官に提出した材料明細書(乙第八号証の二)に記載されているとおり、二、九五六、〇〇〇円であつて(それ以下であつてもそれ以上ではない)、右は岸壁倉庫、型置場倉庫の両方に在庫した数量を合算した数量であることが認められる。証人田中善政の証言、原告本人の供述、両名の検察官に対する供述調書記載、原告本人の刑事法廷における供述調書記載中右認定に反する部分は採用しない。

(三)  原告は昭和二七年期首棚卸材料を被告主張のとおり二、九五六、〇〇〇円とすると、売上金に対する使用材料率五九%、利益率二〇、三一%という不合理な結果を生ずると主張する(工賃請負工事分八、九五四、九四三円は証拠として提出された請負工事明細表によるとあるも、本件訴訟においてはそのような証拠は提出されていないが、仮にその点原告の主張どおりとしても)。しかしながら、乙第二七号証(田中善政(検))の「前年度の工事収入と事業所得の比率と比べて利益率がよかつたのは、昭和二七年度は工賃請負といつて、材料費のかからない手間賃だけの請負工事が約九〇〇万円程ありましたので、この工賃請負の利益率は材料持ちの請負工事よりは率が低いのですが、材料持工事のように見積りと実際がくい違うことが少ないので、利益が確実にあがつたため、工事収入は前年度の倍額でしたが、事業所得は三倍の九〇万円と見込んだのであります」なる供述、甲第五号証の六(吉川善行(検))の「なお日立造船の請負工事の中には、いわゆる仕上工事といつて材料は日立造船が持つて工賃だけで請け負う仕事も含まれております。昭和二六年度は総工事収入のうち、約一割の一五〇万円ないし一八〇万円が工賃仕事でしたが、翌二七年度は約四、〇〇〇万円の請負代金のうち、九〇〇万円位が工賃仕事でありました」なる供述により認められるごとく、昭和二七年度は前年に比し、材料は先方持ちの工賃請負の仕事が多かつたこと、乙第三七号証(小切間正武(検))の「請負工事の見積りにしても他の業者に比して昭和築炉は材料費を安く見積つて工事を引き受けていたようでしたが、その点について吉川は材料を現金で購入するから割安に材料を入手することができるのだと自慢しているのを聞いたことがありました」なる供述により認められるごとく、原告は他の業者より安く入手した材料で安い見積価格で工事を引き受けていたこと、乙第四二号証(山添専一郎(検))、甲第四号証の一五(平田元一)、甲第四号証の一三(山添専一郎)により認められるごとく、原告と同業の明星工業株式会社が日立造船桜島工場より請け負い、昭和二八年二月頃から同年七月までかゝつてした外国貨物船クリスチナ号の保温工事は工事代金二、二一四、七〇〇円、うち材料費一、三〇八、一六四円で工事代金に対する材料比率は五九、五%利益は四九二、〇四一円で二二、二%であること、以上の事実を総合すれば使用材料率五九%、利益率二〇、三一%という数字も不合理とは認められない。

労働者災害補償保険法施行規則第二五条その別表第四にはそれぞれ原告主張のとおり規定されているが、そのことから本件の場合に使用材料率は七割以上でなければならないとの結論はでない。これと反対の見解に立つ原告の主張は採用の限りでない。

原告は昭和二八年営業形態を株式会社組織に変更後整備した帳簿の記載によるも使用材料率七割以上、利益率二分となつていると主張するが、これを認めるに足る証拠がないのみならず、仮に事実そうなつているとしても未だ前記認定を妨げる資料とはならない。

原告はその主張の所得額には合理性があるとして数字を上げて主張しているが、右主張の数字が真実に合致するものであることは、これを認めるに足るべき証拠がないので、これまた前記認定を覆えすに足らないい。

四、別表第一の支出の部(イ)の期首棚卸額が右認定のとおり、二、九五六、〇〇〇円であり、(1)の事業所得の収入、支出のその余の各項目については当事者間に争いがなく、また(2)、(3)、(4)の各所得も当事者間に争いがないので、原告の昭和二七年度の総所得金額は被告の主張のとおり、九、七六四、八七九円であることが認められる。

五、次に原告提出の確定申告書は税額の基礎となるべき事実を隠ぺいしたところに基づいてなされたものかどうかにつき考えるに、(イ)甲第四号証の四(田中善政)、甲第五号証の二、三(吉川善行)、乙第二五号証(井上忠雄(検))により認められる次の事実、すなわち、原告の経営する昭和築炉保温工業所の経営者の名義を昭和二六年より弟田中善政名義としたのは、原告の当時の妻君子との離婚問題にからみ、妻の方に財産を不法に持ち去られるのを防ぐ目的でしたので営業そのものを弟に譲渡したのではなく、原告がひきつづき営業の主体であつたこと、(ロ)乙第三号証(吉川善行(国))の「私の所得を昭和二五年分を浪速税務署へ、昭和二六年分を私名義で富田林税務署へ、田中善政名義で南税務署へ、昭和二七年分を富田林税務署へ、田中善政名義で此花税務署へそれぞれ分割申告しました。申告するについては所得額が実際の所得額より過少に申告致しました。これについて私はこれでよいかなあと何時も税のことについて頭から離れませんでした」なる供述、(ハ)第四号証(吉川善行(国))の「三和銀行に藤井義雄なる架空名義を使用しましたのは昭和二七年分の申告が過少であつたことをおそれてやつたのと、弟に対しても隠しておきたかつたからであります」なる供述、(ニ)乙第七号証の一(吉川善行(国))、同号証の二、乙第二四号証(岡崎成胤)、証人岡崎成胤の証言を総合して認められる次の事実、すなわち、原告に対する所得税法違反事件を岡崎国税査察官が調査している途中、まだ所得金額をいくらにするか決定するに至らない段階の時、原告が被告に所得額を七、六〇〇、〇〇〇円とした修正確定申告書を提出し、岡崎査察官には、そのいきさつを「今までの申告が悪かつた事に気づき、良心的なかしやくにたえないので、気分的に楽になりたいと思い申告しました」と述べ、自筆の所得税申告状態と題する書面を提出し、その中でも「過去のこともおわびする気持で七、六〇〇、〇〇〇円と申告致しました」と記載していること、(ホ)確定申告書に記載の金額と実際の所得金額との差が僅かなら、計算違いとか思い違いということもありうるが、原告の申告した昭和築炉工業所の所得(田中善政名義での)九〇〇、〇〇〇円、自己名義の配当所得四四一、八七九円、給与所得一二二、四〇〇円と被告により更正された九、七六四、八七九円とでは非常な違いで、計算違いとか思い違いということは考えられないこと、以上(ロ)、(ハ)の供述記載、(イ)、(ニ)(ホ)の各事実を総合すれば、原告のなした配当所得四四一、八七九円、給与所得一二二、四〇〇円、計五六四、二七九円の確定申告は税額の基礎となるべき事実を隠ぺいしてなされたものと認められる。

六、よつて被告が所得金額を右のとおり九、七六四、八七九円と更正した結果追徴すべき所得税額四、八六三、九三〇円の五〇%に相当する重加算税二、四三一、五〇〇円の徴収決定をしたことになんら違法の点はないので、右重加算税徴収決定の取り消しを求める原告の本訴請求は失当であるから棄却することゝし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 平峯隆 中村三郎 上谷清)

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